昔々から掘られ続けた銅山。掘った岩の不要部分はポイポイ捨てられ、岩のゴミが数百年分溜まりました。そのゴミを弁柄(ベンガラ)という顔料に加工できることに気づいた人たちがいて、弁柄で財を築いた豪商たちが作った、江戸~明治時代の建物が今も多く残されているのが成羽町です。
江戸時代の末期に造られた広兼邸は庄屋さんの屋敷なのですが、外からの見た目は屋敷というより砦でした。畳の上には上がれませんが、建物の中の隅々まで見学できます。
「 広兼邸 」への車で訪れ難度 (2018年春現在)
人里にあって道幅が狭めです。広い駐車場があります。
「 広兼邸 」の徒歩難度 (2018年春現在)
駐車場から車道の坂を数十メートル上ります。敷地内は平地です。